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 日本橋は江戸幕府開闢とともに創架され、1604年には全国に通じる五街道の起点と定められた。橋名の由来も、江戸の中心日本の中心にある橋として、いつしか日本橋と呼ばれるようになった。

 現在の日本橋は、第20代目にあたり1911年に建造された。国の重要文化財として指定されており、橋長は27間(約49m)、幅員は15間(約27m)のルネッサンス式石造石拱橋である。

 設計は東京市技師の米元晋一と樺島正義が、装飾と様式を大蔵省臨時建築部の妻木頼黄が、獅子・麒麟像を彫刻家の渡辺長男がそれぞれ担当した。

 建設の費用は当時の工事費で51万円。このうち、装飾や彫刻に5万円(全体の約10%)を投資している。



 日本橋北詰東側は魚河岸と呼ばれ、周辺の通りには問屋が軒を連ね、現在の日本銀行本店の地(日本橋本石町)には、金座が置かれるなど、この地域は江戸経済の中心的な役割を担った。その繁栄振りは江戸を代表して錦絵、草双紙、浮世絵等に描かれている。
 明治15年(1882年)には、我が国の市街鉄道時代の幕開けを告げる馬車鉄道が日本橋から新橋間に開通。明治36年(1903年)には路線電車が日本橋を通って品川〜上野まで開通した。明治44年(1911年)には現在の石造アーチ橋が架設された。
 昭和39年(1964年)の東京オリンピック開催に向け、東京都心の交通混雑を回避することを目的に、首都高速道路が河川空間等の公共空間を活用し、早急に整備(日本橋上空の首都高は、昭和38年に架設)がなされた。
 「日本橋」を永く後世に伝え、地域社会の発展を図ることを主な目的として昭和43年(1968年)に設立された名橋「日本橋」保存会を中心に、日本橋を慈しみ、大切に美しく保存していくため、昭和46年から毎年7月に、「日本橋橋洗い」を実施している。
 平成15年(2003年)には創架400周年のパレードが扇国土交通大臣(当時)、石原慎太郎東京都知事の出席のもと、警視庁、米ニューヨーク市警の音楽隊、地元の御輿等が参加し、沿道の約12万人の人が見守る中、盛大に行われた。


【名橋「日本橋」保存会】
http://www.nihonbashi-meikyou.jp/

名橋「日本橋」を永く後世に伝え、地域社会の発展を図ることを主な目的として昭和43年(1968年)に設立。日本の道路の原点である日本橋を慈しみ、大切に美しく保存していくため、毎年7月に、橋の汚れを落とす目的で「日本橋橋洗い」を実施している。また、日本橋川の水質浄化のため、ヘドロの有害物質を浄化するEMでつくった「元気玉」(EM団子)の投入なども行っている。

【NPO法人 はな街道】
http://www.hanakaido.info/

沿道住民等の参加によりフラワー寄金を提供する「フラワーサポーター(花奉行)」花壇への水撒きなどを行う「フラワーボランティア(水奉行)」により沿道の花壇の維持管理と美化活動を行っている。

【日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会】
http://www.nihombashi.com/

日本橋地域の再活性化と日本橋川再生のビジョンを提言し、21世紀のまちづくり策を発信していくことを目的として設立され、様々な調査・提言及び推進支援活動を行っている。

【日本橋学生工房】
http://n-kohboh.jp/

日本橋周辺地区のまちづくりに東京近郊の大学生が参画し、地域住民との交流を通して学生の視点から様々な提案を行っている。平成14年度(2002年)から開始し、現在五期目。


この他にも、地元団体・企業の協賛により運営される無料巡回バス
「メトロリンク日本橋」 や、路地裏に石畳の道路を作るため、地元が主体となってデザインの検討、費用負担を行うなど、街を良くするための取組を地域が一丸となっておこなっている。





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